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2016年1月31日日曜日

たまに真面目な話 2016年1月後編

一年の初めに書くはずだったやつの後編。

個人ブログで好き勝手に書いてます。
しかも読むのに10分以上かかりそうな長文。

内容がたまに踏み込みすぎて、
時々、相当変な人だと思われますが、
どっちかと言うと変な人の部類です。

ちょっと変わってるぐらいの人でないと、
アメリカの自由主義から生まれたような言葉(ライフワーク)と、
強制労働が元となったロシア語(ノルマ)を合わせて、
よくわからない和製英語みたいなのを屋号にするとかはしないはず。

ちなみに、ライフワークノルマというのは、
単純に、個人が生きがいを持って行う事業に対して、
必要と思った事を必ず自分の手で成し遂げるという意思表示の
意味合いで付けた言葉ですが、
別の言い方をするとほぼ『終活(死ぬ前に準備をする活動)』
同じような意味にもなります。

別に自暴自棄になって終活と言ってるわけではなく、
根本的にもう始めないと間に合わないという問題に関して、
人間いつ死ぬかわからないので常に悔いのないようにしとくという
意味合いです。

ちなみに、
次の世代に問題丸投げしてく考え方が好きじゃないので、
そもそも高齢化問題を解決しなきゃいけない理由は、
若い方の世代のために解決するのであって、
「年寄りを助ける」のが「若者を助ける」とセットでないと
意味がないと考えてる部分もあります。
その結果がノルマとつけたワードの考え方です。

ほとんど何も出来ずに「このまま死ぬかもしれない」ぐらいに思ってますが、
せめて少しぐらいは『立つ鳥跡を濁さず』で
出来ることは何かしときたいなというのが本音です。

そんな中で今後やっていく上で、
確認しておきたい実態を書くという後編。


○個人で活動している事に関して


たまに上がってくる話なのですが、
個人で活動している人間とかに対して、
なぜグループに属そうとしないのか。群れが嫌いなのか?

また、俺みたいな奴だと
特にネット社会になってからが多いんですが、
頭おかしいことばっかしてるから友達がいないのか?
頼れる人とか居なくてお前が一番孤独なんじゃないのか?

みたいな部分もあるのですが、

実際のところは、
友達は居なくはないけど多くはない。
派閥やグループに属する気もないけど付き合いがないわけでもないので、
さほど孤独でもない。
ってのが、そのままの答えとなります。

そもそも、みんなでにぎやかにするのが好きなわけでもなく、
かといってある程度年齢を重ねたら、
色んな人と話をしていくので交流が出来ないわけでもないっていう、
普通のレベルの話です。

ただ、ネット上のフレンドの数、フォロワーの数とかの話だと、
誰もが見てすぐにわかるように俺は全然居ないわけです。
(ぶっちゃけそれはそれで俺が人気ない証明で恥ずかしい部分ありますが)

昔はそれなりにネット上のコミュニティ参加してみたりしてましたが、
俺みたいに特に何も無いおっさんになってくると、
SNSのフォロワーが居ないとかはどうでも良い話で
積極的に増やそうって気もなくなってくるわけです。

そもそも
一か月で数回書くかどうかという、
生存確認のために使われてるような形で終わります。
ただ、色々手を出した時期があるので、
たまに他で知り合った人が自分を見つける事があります。



個人的に昔からずっと言ってるのが、「喧嘩できる人とじゃないと友達になれない」
っていうのがあって、
これ別に殴り合いして拳で分かりあうって意味じゃないですよ?

普段我慢したり、慎重に発言したりしている分、
ほんとに気に入らない事はその場で口論になっても構わないと思ってて、
その場で喧嘩した上で、次の日なり数日後になりに
通常の関係に戻るような人としか友達になれそうな気がしません。

そうなると、そんなに友達が出来るわけがないけど、
その代わりそういう人となら長くやっていける。
それだけ。

自分の場合は、本当に人の陰口や悪口言ってるの嫌いで、
そんな事やられるぐらいなら直接喧嘩した方がましなタイプです。
(怖くて震えてるかもしれないけどその方がまし)

しかし、一般的に見て悪口や陰口言わない人の方が少ない。
というか、自分だって言ってしまう事もなくはない。

俺自身気をつけなきゃいけないのが、
どうしても組織や派閥では空気を合わせて、その場を乗り切ってしまおうとする。
それも嫌なんで頑なに反発すると、それはそれで浮く。
 
そんな事を仕事場でやってるのが面倒になってきてしまったんですね。


「なるほど、それで一人で個人事業主やってるのか」っていうと、
それもまた少し違う理由がありまして、
その理由に触れるという事自体が、
友達を失う方に進むような話なりましして、
また、フリーランスの人とかが避けて通れないような悩み。


2016年1月18日月曜日

葬式とかの話

このブログは一人の個人が
個人的な内容を思いと共に書いているだけなので、
基本的にどうでもいい話がされている事が多いです。

それから、底辺というブログタイトルからも
何となくわかる通り、恥をかく事や笑われる事は承知の上で
踏み込んだ内容もストレートに書くため、
人によっては非常に気分の悪いものになるかもしれません。

という事で普段通りの注意書きです。


○葬式とかの話
 

まず、1月18日でうちの親父が死んで6年目です。
というわけで7回忌でした。

そもそも、人の死と死後にかかるお金の死後ビジネスの話は、
誰もしたくない部類の話ですし、聞きたくないという人も多いでしょう。
今回は直接それに踏み込んだ話というよりも、
結果的にどうしても避けて通れないとしてそこに触れますので、
嫌な人は既に読むのを止めてもらった方が良いと思います。

『人の死んだ時の話なんて悲しいからするなよ』
って皆言うでしょう。
それでいて低所得最大の脅威として避けては通れない話なので、
最も真剣に考えていく部分です。
経済的に余裕がある場合はまた違った意見になると思います。

俺は医療費と葬式代を稼がねばなりません。
そのために生きていると言えるほどです。
そのぐらい人生においてその割合が大きいものでした。

なんか、それだけ聞くと金に執着している感じに捉えられるかもしれません。
それは、こういう話をしようとした時点で仕方ないかもしれないけれど、
現実的に個人で負担しきれない人も増えているという
ニュースを見たことはないでしょうか。
例えば死んだ親の届け出を出さずにいたとか。

この問題の問題たる部分は、
単に金銭的に出せる出せないの部分だけではなくて、
その儀式的レベルをどの程度で行うかが、
その後の社会集落での生き方に影響を与えてしまう事。
もしくは、残された側の人間が影響があると思い込んで対処してしまうこと
にあったりします。

人間の人生に起こった物事に対して対策を講じるという話になると、
正直、ポジティブとかネガティブとか、明るい暗いの線引きだけでは
語れないと思っています。


2016年1月6日水曜日

たまに真面目な話2016年01月 1回目

○新年明けた。

新年が明け2016年になったので、
最初ぐらいは真面目な話から始めた方がいいだろうと、
夢の話でもしようと思います。

基本的にこのブログで話す内容の大半は、
変わった人の荒唐無稽な夢の話になって行きますので、
その内容の優劣とか、実現可能に感じるかどうか、
また有益と感じるか、無駄と感じるかも全て読んだ人の
判断にお任せします。

あとそこそこ真面目な話をしているので、
全部を全部細かく説明してると本一冊分ぐらいになるので、
超荒い部分で説明していきます。
多分大体の人が「何言ってるのか意味わからん」ってなるかもしれません。


とりあえず、全ては読み手のとらえ方次第でOKなのです。


○根本にあったもの

ライフワークノルマという屋号で始めた個人事業を始めた中で、
色々思うことはあったのですが、
ひとつ中心核にある部分の話を2016年最初にしてしまおうと思います。

過去の記事や、直接会って説明してた内容などを見ても、
この個人事業の形は『現在住んでいる場所』で継続する事を前提として、
一定区間の『地域』での状況と需要を考慮した形で話が進んでいます。

となると、まず絶対的な話の前提として、
 【この土地で生きていくという考えがある】からで、
そこに少なくてもある程度の地元愛とか、地域交流をするという意思があるのは
分かってもらえると思います。

ところが、それを実際のリスクを踏まえた上で、
考えただけでなく実際に思い切って始めてしまう上では、
真逆の考えも含まれていました。


○それは何かと言うと

事業の内容が、

ここじゃなくても出来る・他の土地でも出来る

というのがポイントです。

自分の中でこんな風に考えました。

「もし、本当に自分に能力があるならどこでも生きていけるだろう」

自分の身体を使って労働作業して稼ぐ部分と、
ネットを利用して何か販売する部分でサイクル型にするなら、
通信インフラと配送を行ってもらえる業者がある環境なら、
理屈の上ではどこでも出来るという話になります。

 ※これは例えば月収何十万円以上にしたいとか、
  家族を養いながら、もしくは結婚したいとか、子供が欲しいとか
  そういうものを一切考えずに一人で生きるとした場合の話です。


文章表記では長くなるので、すごく大ざっぱに言うなら、
もし地域にこだわる理由があるとしたら、
それは家族であり、土地の問題だというのが一般的になります。

基本的に土地なんかの話になると、
持っていてプラスになる前提で話すからそうなるわけで、
土地そのもの、またはその周辺を他の土地の所有者と
調整する上でマイナスが多いなら、
その土地を放棄して他に行く方が話は早いってなります。

自分が抱えてる部分に関して、
この問題は細かく説明すると本当に長くなるので、
一言で「相続っていうのは借金、負債・問題も含めての相続である」
で済ませておきます。
また逆に「あなた単純に土地相続できるの?良かったね」
ぐらいに思ってる方に、いかにこの土地が面倒になってるのかを、
親戚・近隣住民の人も含め全部説明しても構わないと思っています。

そうすれば、
『この土地を捨てて、相続分放棄して出ていくことも正解の一つ』
っていうのも分かると思うわけです。


まず、この『この土地に住めなくなる、また執着する必要が無い』
という覚悟および考え方が存在しています。

その上で引っかかる言葉があるとしたら、
【先祖代々の土地を守るのかどうか】という部分です。

土地として狭かろうが、金銭価格としての価値が低かろうが、
俺は今現在にいたるまでの昔話を聞いているため、
『俺の代で土地を無にしてしまうのか』というのは避けたいわけです。

これを、逃げの話でいうなら、今現在の社会状況ってのは
爺さん婆さんの時代とは全然違うわけです。
その上でずっと後回しにしてた問題が結構あるんです。

マッカーサー時代の所有者の口約束が結構ヤバいわけです。

だから、今の場所に住むのであれば、
かなり徹底して解決をするぐらいの気持ちが無いと無理です。

これ、土地の問題はちょっとやそっと本気になったからって、
すぐさま解決するとは限らないわけです。
俺が金持ちならお金で解決出来たかもしれませんが、
人と人との交渉で相手がどう考えてるかも関わってくるわけなので。

一回交渉に失敗しただけでどうしようもなくなってる
土地も田舎には結構あるんです。


なので、
この土地でやらなくても出来そうな事をやってるという感覚と、
この土地にこだわるなら生半可な気持ちではダメだと、
周辺住民、土地の所有者の方全員と話して根本から解決するんだ
という感情が同居しています。


○そうしてそこから派生するのが


耕作放棄地問題です。 

※長いので続き読む人は注意を(ここで3分の1ぐらい)